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年間活動報告2023

2023年は、 ①ニジェール紛争難民の子どもたちの家「Inna House」の運営、 ②ガーナ郊外の漁村「幸せの村」のサポート、 ③トーゴの貧困家庭の子どもたちを応援する「ファミリーサポーター」プロジェクト  の三つを軸に活動しました。


 

ニジェール紛争難民の子どもたちの家「Inna House」



6年前、Inna Projectはガーナの首都アクラの繁華街で物乞いをしていたニジェール紛争難民の子どもたちに衣服や食事を提供する活動からスタートしました。そして2022年に子どもたちが安心して生活でき、読み書きなど基礎的な勉強ができるシェルターとして「Inna House」をオープンしました。


Inna Projectの目標は、「物乞いの連鎖」を止めることです。「物乞いの連鎖」とは、親が子どもに物乞いをさせ、子どもが稼いだお金で生活をし、その子どもたちがやがて大人になると、またその次の世代の子どもたちが物乞いをする…という、ニジェール紛争が始まった約50年前から今日まで続いている連鎖のことです。この「物乞いの連鎖」は、子どもたちが学校での勉強を通して広い世界を知り、物乞い以外の生きる手段を見つけることで止めることができると考えています。その実現のために、私たちは子どもたちと共に奮闘してきました。


そして2023年から、両親の同意のもと、子どもたちはインナハウスに住んで、学校に通えることになりました。2022年は、インナハウスへは1日に50人以上の子どもたちが訪れ、ご飯を食べたり、安全な室内で睡眠を取ったりと、たくさんの子どもたちの大切な居場所となっていましたが、2023年からは学校に通う子どもたちだけが寝泊まりする場所としました。


インナハウスの運営形態が変わったことで、見捨てられたと感じている子たちもたくさんいたし、直接そう伝えてくる子もいました。それでも、学校に通っている子たちと、ストリートで物乞いをしている子たちでは生活リズムが全く異なるため、学校に通えるようになった子たちが学校の勉強についていくためにも、彼らが勉強に集中できる環境を整える必要がありました。


物乞いをしていて学校へ行けない子どもたちも、彼らの姿を見て「勉強したい」という気持ちが強くなっています。学校へ通えない代わりに、昼間にインナハウスに勉強をしにきたり、給食を食べにきたりしています。


Inna Projectを設立してから6年間、子どもの親を説得し続けました。そして2023年1月、ようやく2人の子どもの両親が子どもを学校に通わせることに同意してくれました。物乞いは子どもたちにとって家族を支えるための重要な仕事であるため、子どもたちの親にとっても大きな決断でした。



2人に続いて、3月には3人目の男の子が学校に通い始めました。彼は16歳で、今まで一度も学校に行ったことがなく、インナハウスで覚えた自分の名前以外、読み書きがほとんどできませんでした。そのためなかなか受け入れてくれる学校が見つからず、彼の学校探しには2ヶ月かかりました。



入学前、学校で自分の学年を決めるためのテストを受けます。テストの結果、彼の学力は幼稚園レベルでした。小学校でさえ、16歳では受け入れてもらえません。彼自身も、小学1年生の中に入るのはかなり抵抗がありました。


そしてやっと見つかったある学校で、無事4年生クラスに入れてもらうことができました。1クラス4〜5人しかいないとても小さい学校です。彼の学習内容は小学校1年生レベルのため、クラスメイトとは違う内容の勉強をしていました。Inna Houseでも、チューターがついて、毎日勉強しました。


そして学校に入って1ヶ月もしないうちに、彼はもう足し算・引き算・掛け算の勉強を終え、割り算の勉強を始めました。ものすごい成長ぶりです。

 

3年前、彼に学校に行きたくないのかと聞いたことがあります。当時彼はチューイングガムを売っていて、その仕事にこだわっていました。物乞いとチューイングガム売りで生活してきたので、自分の今の仕事以外のことには興味を向けませんでしたし、学校に行くなんて想像したこともありませんでした。しかし2023年の1月、彼の弟がインナハウスから初めて学校に入学しました。その様子を見て、自分も学校で学びたいと思った彼は、電話で学校に行きたいと私たちに伝えてくれました。そうして彼の学校探しが始まったのでした。


 


6月、新たに3人の子どもたちを同時にインナハウスに迎えました。


ある男の子は、ニジェールの紛争でお父さんを失い、重い病を患っているお母さんを置いて、命からがらガーナに逃げてきました。砂漠で家族と幸せに暮らしていた2年前のある日、突然武装集団が彼の住んでいた村を襲い、村人や家畜を次々と殺していきました。兄弟もいない彼はたったひとりでお母さんを守らなくてはならず、近所の家を周って少しでもご飯を恵んでくれないかとお願いして、なんとか一日一日を生き延びる日々が二年間も続きました。


そんな中、彼のお母さんが風の噂で Inna Project の話を聞き、悩んだ挙句、息子をガーナに送ろうと決めたそうです。このままこの砂漠にいても、いつまた襲撃が来て殺されるか分からない、食べ物も水も十分に手に入らない状況がいつまで続くか分からない。インナハウスにいれば、ご飯も水も心配しなくていい、命の危険もない、学校に行くこともできる…。

 

ニジェールの過酷な環境を抜け出し、インナハウスにやってきた彼は、なんと2年間も血尿が続いていたことが分かりました。ニジェールでは十分な食料も衛生的な水も手に入らない状況だったので、ずっと栄養不足で貧血状態だったのです。「誰かに言っても治してもらえない」「お母さんに心配をかけてしまう」という思いから、誰にも言うことができなかったそうです。ニジェールの深刻な食糧不足や不衛生な飲料水といった環境的な要因だけでなく、紛争中に目の前でお父さんを紛争で亡くしたことのショック、また病弱なお母さんを支えなくてはというプレッシャーなど、幼い頃から相当なストレスを受けてきたことが原因だと思われます。今も薬での治療を続けています。


紛争地のニジェールからインナハウスへと避難してきた子どもたちの多くは、さまざまな事情や病気を抱えています。それでも明るく前向きに、力強く新しい人生を歩んでいます。

 

7月には、ニジェールで大規模なクーデターがありました。大統領が拘束され、空港も全て封鎖され、同時期にテロ活動も過激化していました。



そんな中、8月に8歳の女の子をインナハウスに迎えました。インナハウスで2人目の女の子です。彼女はニジェールの慢性的な栄養不足から腹水が溜まっており、お腹が大きく出っ張っている状態でした。すぐに病院へ連れて行き、健康状態を検査し、その後理髪店へ行って頭部のシラミを除去しました。


初めて自分の村を出て、全く違う言語の土地へ移動し、両親と会えない環境の中、彼女は「早く学校へ行きたい!」と毎日勉強していました。 私が買った教材も数日ですぐ終わらせて、「新しい教材買って! 」としつこくお願いをしてくるほどでした。


11月末には3人目の女の子をインナハウスに迎えました。活動を始めてから6年間、「女に教育なんか必要ない」と子どもたちの両親から言われ続けてきましたが、この子のときはなんと、彼女をインナハウスへ預けたいと、お父さんが頭を下げてお願いしてきてくれたのです。



実際、これまでに出会った何百というニジェール難民の女の子たちの中で、文字を書ける子は一人も居ませんでした。何度も何度も、子どもたちを学校へ通わせたいと両親たちに頭を下げてきました。その度に笑われたり、暴言を吐かれたりしていましたが、活動を始めて6年経ってようやく変わり始めたと感じた瞬間でした。

 

そして本当に喜ばしいことに、現在インナハウスは入居待ちの状態となっています。故郷であるニジェールを離れて、ガーナのインナハウスに住んで学校に通いたいという子どもたちと、それに賛成してくれている親がたくさんいるということです。



大活躍する子どもたち!


インナハウスの子どもたちは、みんな本当に逞しく、学校に入学してからの数ヶ月間で、みんなそれぞれ大活躍しています。



1月にインナハウスから初めて学校に入学した7歳の男の子は、1学期末と2学期末のテストで両方ともクラスで一番を取りました。彼はまだ歩き始めたばかりの頃からずっとストリートで物乞いをしていました。2022年にInna Houseで初めてペンを握り、線をかく練習から初めて、2週間かけて自分の名前を書けるようになりました。そして1月に幼稚園の年長クラスに入ることが決まりましたが、あまりに成績優秀なため、小学校2年生への飛び級が決まりました。





ある男の子はサッカー選手になることが夢で、週6日サッカーの練習をしています。ルールも分からない状況から、3軍から1軍へ昇格し、U-13選抜に選ばれました。子どもたちには、昔から「物乞いに使っているエネルギーを自分の好きなことに向けたら、何でもできるようになる」と声をかけ続けてきましたが、こうしてサッカーの選抜に選ばれるなど目に見える結果となって現れたことで、「なんでもできる」ということを実感することができたのではないかと思います。


頑張ったことが結果となって現れるという経験は、人から話を聞くだけではなく自分で経験しないと分かりません。何か一つのことをやり続けるという経験。そしてそれが結果につながるという経験。全て、子どもたちにとってそれは未知の経験でした。


私たちは子どもたちが夢をつかむための最初のステップをサポートすることはできますが、その先の努力で掴み取った結果は、全て子どもたち自身の努力の賜物です。


 

インナハウスで最年長の男の子は、中学3年生のクラスからスタートしました。短期間で高校入試に向けて猛勉強し、なんと学年一位の成績をとり、首席で卒業することが決まりました。

彼は毎日深夜2時に起きて、勉強を続け、ガーナでトップの国立高校への入学が決まりました。



実は彼はインナハウスに来る前にも学校に通っていました。


彼が10歳のとき、ストリートで物乞いをしていた最中にたまたま「ストリートチルドレンにも学校に通わせてあげたい」という考えを持っている学校の経営者に出会い、その縁で学費無料で学校に通うことができました。しかし、授業が終わって家に帰ると、毎日のように両親からひどい暴力を受けていました。彼の両親は「学校なんて行かずに物乞いをしろ」と、暴力で彼を抑え込もうとしたのです。その暴力は痛いなんてものではなく、気を失うこともあったそうです。


それでも彼の「学びたい」という強い意志が折れることはなく、体がボロボロになっても、親の見ていない隙を狙っては学校に向かっていました。制服を着て出かけると両親にバレてしまうので、私服でこっそり家を抜け出し、片道2時間の距離を歩いて学校に通っていました。そんな毎日が数年間も続きました。

 

しかしその経営者が途中で彼の分の学費を負担できなくなってしまい、中退することになりました。学校に通えなくなってから1年半の間、彼は再び学校で学べる日が来ることを願いながら、毎日路上でガムを売ったり、物乞いをしたりして、どうにかお金を稼いで学校へ行く方法を考えました。物乞いや物売りで稼げる額はほんのわずかで、その日食べる分を稼ぐだけで精一杯でした。

 

そんな中でInna Projectとの出会いがあり、当時中学3年生の年だった彼は、準備期間が全くない中、高校入試に向けて再び勉強を始めることになりました。彼は毎日深夜2時に起きて睡眠時間2〜3時間で毎日毎日必死に勉強しました。他の生徒たちよりも圧倒的に受験勉強の期間が短く、ブランクがあったにも関わらず、中学校を首席で卒業し、公立の高校への入学が決まったのです。


 

インナハウスの日常


インナハウスではさまざまなイベントを開催しています。社会科見学や職業体験といった行事だけでなく、子どもたちが世界のさまざまな文化や価値観に触れることができる機会を積極的に取り入れています。


3月には、アクラ市内で開かれた「ホーリー」に参加しました。ホーリーとは春の訪れを祝うインドの祭りです。ガーナは様々な国から移り住む人が多くとてもインターナショナルな国です。インドの音楽が流れたり水鉄砲があったりと賑やかで楽しい雰囲気に囲まれながら、異文化交流をすることができました。



10月には、プロのダンスの大会の見学をしました。

インナハウスの子どもたちは、世界チャンピオンのガーナ人ダンサーE-flexさんが講師をしているスタジオでダンスを習っています。E-flexさんは自身もストリートで育ってきたため、同じ境遇にいる子どもたちに、広い世界を知ってほしい、希望を持ってほしいと、無料でダンスレッスンを受けさせてくれています。



10月1日、E-flexさんが指導しているダンスチームが出場するダンスの大会があり、インナハウスの子どもたちは特別に決勝戦を見学できることになりました。大会にはテレビ局がたくさん来ていて、ダンスだけでなく報道の世界も見学することができました(インナハウスにはテレビはないので、テレビを見ることも滅多にないのですが笑)。


結果、E-flexさんのチームは優勝できなかったのですが、子どもたちは素晴らしいパフォーマンスに刺激を受け、帰り道ではみんな「ダンスやりたい!!」と口を揃えて、大興奮でした。





そしてクリスマスには、インナハウスでささやかなクリスマスパーティーを開きました。

インナハウスの子どもたちは「クリスマス」という名前こそ知っていますが、クリスマスにどんなことをするのか、何のために祝うのかなど、クリスマスの意味は知りませんでした。

毎年クリスマスはたくさんの観光客が来るので、物乞いをしていた彼らにとっては「稼ぎ時」という認識でした。


そこで、クリスマスとは何かを知るため、12月に入ってから、子どもたちにクリスマス映画(ホームアローンなど)を見せていました。映画を通して、クリスマスにはツリーを飾るということを知り、インナハウスにもクリスマスツリーを飾りました。


インナハウスの子どもたちはムスリム(イスラム教徒)なので、クリスマスを祝う文化はありません。日本で生まれ育った私にとって、クリスマスは幼い頃からとても楽しみにしていたイベントで、子どもたちともその楽しみを分かち合えたらいいなと思い、信仰とは関係なく、文化を知る機会として、子どもたちにクリスマスの文化を伝え、クリスマスパーティーを開催しました。


 

日本講演ツアーを開催しました


11月には、2年半ぶりに日本に帰国し1ヶ月間で19公演させていただきました。日頃から応援してくださっているサポーターの皆様を初め、たくさんの方々にお会いできてとても嬉しかったです。足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


あるイベントでは、インナハウスとオンラインで繋いで日本の子どもたちと交流する時間を設けました。インナプロジェクトでサポートしている子どもたちは、学校に行きたくても行けない子ばかりなのに、日本の学校に通っている子どもたちを見せることは、学校に通えている日本の子どもたちは幸せなんだよと、見せつけているような気がして、初めは正直不安がありました。


しかし当日になると、インナハウスの子どもたちはみんな画面に写ろうと押し合いへし合いで大げんか!笑 それだけでなく、日本の子どもたちも、自ら英語を話して進んで交流しようとしてくれました。インナハウスの子どもたちも、日本の子どもたちも、みんながとても楽しそうに交流している様子を見て、これからもっとこのようなイベントを開催していきたいと思いました。全く異なる環境の子どもたちが交流することで、きっとお互いに想像を超えた世界、新たな視点からの話ができるはずです。


 

フィリピン・セブ島での大火災で被害に遭った人々へ物資を届けました




12月12日、セブ島のLapu-Lapu Cityで、大規模な火災が発生しました。

11月の日本で講演ツアー終了後、ガーナに戻る前に自然の中に身を置いてしっかり休んでから帰ろうと思いフィリピンに滞在していたのですが、セブ島に到着してすぐこの大火事が起きました。 死者こそ少ないけれど、火傷を負った人は300人を超え、ほとんどの人が全てを失ったのだそうです。


被災者の方々に直接物資を届けたいと思い、インナプロジェクトからは赤ちゃんへのサポートに限定して、粉ミルク、オムツ、離乳食、お水を届けました。さまざまな団体が支援物資を届けていて、水や食料は沢山ありそうでしたが(もちろんそれでも全く足りていないと思いますが)私が見た限りでは、赤ちゃん用の物資を届けている人は見かけなかったので最適な判断でした。

急なお願いだったにも関わらず、寄付をしてくださった皆様、ご協力本当にありがとうございました。


 

ガーナ郊外の漁村「幸せの村」


ガーナの首都アクラから車で3時間ほど離れた郊外に、アコソンボという漁村があります。とても貧しい村ですが、自然も人々の心もとても豊かで美しく、Inna Projectでは「幸せの村」と呼んでいます。


4月、インナハウスの子どもたちとみんなで、この「幸せの村」を訪問しました。村の子どもたちはガーナの伝統的な太鼓とダンスで、私たちの歓迎パーティーを開いてくれました。


の子どもたちとインナハウスの子どもたちは言葉が通じないのに、みんなでカヌーに乗ったり、湖で一緒に泳いだり、村の子どもたちから釣りの仕方を習ったり、湖でみんなで釣りをしたりしているうちに、すぐに仲良くなりました。



6月にJICAから助成金を頂けることになり、この「幸せの村」で持続可能な自給自足の村づくりを進めることになりました。近年観光開発が進んで、村の自然が破壊されつつあります。また気候変動により漁獲量が減少しており、現金収入がほぼゼロの状態です。そのため、今の大人たちが子どもの頃はみんな学校に通うことができていたのに、今の村の子どもたちのほとんどは学校に通うことができていません。村の美しさを保ち、子どもたちが自由に学ぶことができるよう、村人たちと協力して、2024年から新たなプロジェクトを進めていきます!


まずは、自分達が食べるだけでなく、マーケットで売って現金収入を得られるよう、トマトや唐辛子など保存可能で栽培が簡単な野菜を育てます。そしてその売上でボートの電動モーターを購入し、現在よりもっと遠くの海でも漁業ができるようにします。


また農業・漁業と並行して、幼稚園の建設を行います。ガーナでは幼稚園で読み書きや簡単な計算の勉強をしますが、幼稚園卒業レベルの学力がないと小学校に入学することができません。子どもたちが村の幼稚園に通うことで読み書きができるようになること、それに伴い、村では農業と漁業で現金収入が入るため、子どもたちが小学校に通えるようになる、というのがこのプロジェクトの目標です。


 

トーゴの貧困家庭の子どもたちを応援する 「ファミリーサポーター」プロジェクト



インナプロジェクトでは、ガーナの隣国トーゴの貧困家庭・孤児の子どもたちのための施設であるMAHANAIM OPRHANAGE HOMEの子どもたちも応援しています。

お米やトマト缶、油、サーディン、スパゲッティ、塩などの食糧や衣服、筆記用具や通学バッグなど勉強道具を届けました。



MAHANAIM OPRHANAGE HOMEの代表のコジョさんは、ご自身も幼いときに両親を亡くして親戚の家をたらい回しにされて育ち、とても辛い経験をしたそうです。ご飯がない、洋服がない、そういった貧しさよりも、両親がいない寂しさや孤独が一番辛かったと言っていました。だからこそ、自分と同じ境遇の子供達のお父さんになれるようにと活動を始めたそうです。実際に子どもたちはコジョさんのことパパと呼んでいました。コジョさんは活動を始めてから十数年間、金銭的支援をしてくれる人がいなくても一人で子どもたちを支え続けてきました。自分のお給料を全て使い、一文無しになっても、子どもたちの面倒を見続けています。


コジョさんの無償の愛を受け取っている子どもたちは、人一倍勉強をして明るい将来の為に毎日奮闘しています。そこでインナプロジェクトでは、未来ある、この地球の光である子どもたちの学習支援をしてくれる「ファミリーサポーター」の募集を開始しました。



「ファミリーサポーター」とは、子どもたちを「家族」の一員として応援するというものです。コジョさんは、貧しさよりも家族がいないという孤独が一番辛かったそうです。金銭的なサポートだけでなく、子どもたちの家族として彼らの将来のことを一緒に考え、「支えてくれる家族がいる」という安心感を子どもたちに届けたいと思っています。


日本で育った私たちにはさまざまな選択肢があるため、子どもたちとの交流を通して、子どもたちにはいろいろな選択肢があり、可能性に満ちている、ということを教えてあげることができます。ガーナも今では、ただ勉強して学校を卒業するだけではいい仕事が見つからず、生きていけない状況です。チャンスを得るためには、より質の高い教育を受ける必要があります。


ある女の子は、ナースになりたいという夢があります。そのためには、彼らの母語であるフランス語だけでなく英語を話せなくてはなりませんが、英語を学ぶ機会は、村の学校では得られません。どの学校に行けば、彼女が必要とする教育を受けられるのでしょうか?彼女らの進路や、夢を実現するための方法を、一緒に模索していく「家族」がいれば、子どもたちはとても心強く前向きに頑張れると思います。


ファミリーサポーターについて詳しく知りたい方は、ぜひご連絡ください!


 

2023年もInna Projectを応援してくださり、本当にありがとうございました。

Inna Projectを立ち上げてから、困難な環境で生きる子どもたちへのサポートを現地ガーナで続けてきましたが、今年はその地道な活動がようやく芽を出し始めました。

難民の子どもたちが学校へ通えるようになること、夢を描けること、美味しいご飯を毎日食べられること…簡単なことのように聞こえますが、数年前の私たち、そして子どもたちにとっては夢のまた夢のようなことでした。

 

子どもたちが元気に暮らせているのは、全てサポートしてくださっている皆様のお陰です。

本当にありがとうございます。

 

2024年はより多くの子どもたちが学べるように、飢えに苦しまなくてもいいように、精一杯活動を続けていますので、今後とも応援のほどどうぞよろしくお願い致します。


Inna Project



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